ACPに関して思ったこと

ACP(Advance Care Planning, 人生会議)イコールCode Status(急変時に蘇生行為を行うかどうか)を決めることではないでしょうが、入院時の病状説明でルーチンでDNAR(Do not attempt resuscitaion, 蘇生を行わない)を取ることやそれが求められるような空気感を重圧に感じることがあります。初対面でそれまでどんな人生をどのように送り、かかりつけ医からどのような話をされてきて、これからどう生きたいと思っているのか、そんなバックグラウンドが全く分からない状況で、人生のある一点でしか会っていない自分がCodeの決定を迫る立場で良いのか。もちろん重篤な病状で差し迫って判断しなければいけない状況はあると思いますが、入院された患者さんの全員が全員そのような状況ではないはずです。もちろん気持ちが変わることはあるでしょうが、一度DNARをとった患者さんが違う病状で入院するたびにその情報を更新する必要があることもよく分からない。患者のケアのためというより病院の都合ではないか、とさえ思ってしまうことがある。
入院時はあえてそこまでの話をせず、関係性を築いていく中でCodeについて言及するやり方もあっても良いのでは、と思ってしまう。
逆に外来でずっとみている方がだんだん下降期に入っていく時に時間をかけてCodeを含めた話し合いをして、療養環境(入院するのか、在宅ケアするのか)も含めて時間をとって相談して最期まで関わることができたケースは印象的で良い時間を持てたと思います。私は癌患者さんはあまり診療しておらず、心不全、腎不全、肝不全、認知症など、非癌患者の下降期慢性疾患のケアを行うことが多いため予後予測も難しい側面がありますが、入院を繰り返す中で患者さんや家族の価値観を深く知ることができ尊重できお互いに悔いが残らないケアができた時は満足を覚えます。
自分自身は引き気味の立場をとってしまうことが多いが、DNARがブレーキとなって「DNARだから手術しない」「緩和だから抗菌薬や輸血はしない」と決めつけて治療の差し控えになってしまうことは避けるべきであり、治療適応はフラットな目線で個別に考えるべきであろう。
一方、だんだん病状が悪化する中で徐々に病状の理解を促し、soft landingに持っていくことも慢性疾患のケアの一つの目標であろう。